大判例

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札幌地方裁判所 昭和43年(わ)584号 判決

主文

被告人を懲役六月に処する。

ただしこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(被告人の経歴およびその行なつた業務の概要)

被告人は、旧制中学校を修了し戦前は軍隊勤務をし、終戦後は厚生事務官として十数年間国立療養所に勤務し、その後これを退職し昭和三七年四月行政書士の資格をえたものである。被告人は、厚生事務官をやめたのち、札幌市内で岸川良吉というものが経営する、自動車交通事故による損害賠償の示談の取りまとめなどを業とする北海道自動車事故共済社に勤務して右業務に関与したが、昭和三七年五月岸川が右業務に関し弁護士法違反として検挙起訴されたため、被告人も右勤務をやめた。しかし被告人は、その後も右業務に関心をもち、昭和三七年一一月ころ札幌市大通り東七丁目大七ビル内に事務所を設け、事務員を雇い札幌弁護士会所属弁護士大野米八を顧問とし「札幌保交商事」という名称で次の内容の業務を始めた。すなわち被告人は、自動車を保有する会社や個人を対象として会員の募集をし、会員から車両一台につき年間金二、〇〇〇円(昭和四〇年九月から金三、〇〇〇円に増額)の会費を支払つて貰うこととし、その代り右車両に関して交通事故が発生した場合当該会員の依頼をうけてその代理人となり事故の相手方との間に損害賠償についての示談の交渉をしたり、示談契約の証書を作成したり、さらに自動車損害賠償保障法に基づく保険金の請求手続をしてやるなどの事務を引受けるというものである。もつとも、右会員加入の募集にあたつて頒布した業務案内書では、示談に関する業務以外は行政書士馬場博士が行ない、示談に関する業務は顧問弁護士大野米八が行なうと記載していたが、実際上は、当事者間の示談では解決されず訴訟に移行するような一部の案件については会員を右大野弁護士などに紹介することにしていたものの、それにいたらない多くの場合には、示談に関する業務も被告人がその処理に当つていた。札幌保交商事の業務は、最近における自動車交通事故の激増とこの種の業務を扱う適当な社会的機関のないことに基づく社会的需要に迎えられて、すこぶる繁昌し、会員加入契約を締結して札幌保交商事に登録された車両台数は、昭和四〇年度は一、四〇九台、同四一年度は一、四三三台、同四二年度は一、三二五台に達していた。なお、被告人は右のように原則として予め会員となつていた者の保有車両に関して生じた事務を扱うことにしていたが、時には会員以外の者からも依頼され、その都度入会金または文書料などの名義で金銭を受けとり右に述べた諸事務を扱うことがあつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、弁護士でないのに、前記札幌保交商事の業務として、会費、入会金または文書料などの名義で報酬をうける目的をもつて、別紙一覧表(一)記載のとおり昭和四一年九月七日ころから昭和四三年七月八日ころまでの間、前後二八回にわたり札幌市大通り東七丁目大七ビル内札幌保交商事事務所ほか数ケ所において、交通事故を生じた自動車の保有者または運転者あるいは交通事故の被害者などである同表記載の昭和乳業株式会社ほか二五名から、交通事故の相手方との示談交渉などの依頼をうけ、右会社らを代理して、同表記載の野崎勲ほか二六名との間の損害賠償事件に関し、示談の交渉、その取りまとめなどの法律事務を取り扱つたものである。

(証拠の標目)〈略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件について無罪を主張し、その理由として、(1)被告人は別表記載の事件依頼者とその相手方との間の交通事故に関する損害賠償についての示談交渉に関与した際には常に事件依頼者本人又はその使用人などが出席し、被告人は単にオブザーバー又は助言者として出席しただけであり、被告人が事件依頼者を代理し独立して示談交渉やその取りまとめなどに当つたことはない。従つて弁護士法七二条にいう「法律事務を取り扱つた」ことに該当しない。(2)また会員から会費を徴収したのは、会員の保有車両について交通事故が生じた場合、被告人やその事務員が交通事故現場に赴いて会員のために事故原因の調査をしたり、或いは行政書士として会員のために自動車損害賠償保障法(以下自賠責法という)に基づく保険金の請求手続に必要な書類を作成したり又はそれに添付すべき証明書類を関係官公署から交付をうけてくることなどに対する報酬や費用の趣旨で受領したものであり、示談交渉をしたりその取りまとめをするなど「法律事務を取り扱うことに対する報酬」の趣旨で受領したものではない、などと主張する。

しかしながら所論(1)については、被告人の行為のすべてが単なるオブザーバー的な関与行為であつて、当該行為の性質上「法律事務を取り扱つた場合」にあたらず、したがつてすべて自由に誰でも行ないうる行為であるなどとは考えがたい。前掲各証拠によると、別表(一)記載の各示談に際しては、いずれの場合も被告人が事件依頼者の代理人として相手方と折衝し、交渉の席に当事者本人やその使用人が全く出席していないことすらあり、またこれらの者が出席した場合にも、それは被告人から、人身事故について有利な条件で示談をするには被害者側の感情をやわらげることが肝要でそれには加害者本人や会社の責任者自身も示談交渉の席に出た方がよいといわれて出席したにすぎない場合があり、そうでない場合にも、当事者やその使用人は被告人に従属する形で示談交渉に加つていたにすぎないこと、示談書などを起案作成していたこと、示談をまとめるため、被告人は相手方に対し「交通事故の損害賠償額について一般の相場はこうなつている。」とか、「訴訟になつてもこの位の賠償額しか認められない。」などといつて、相手方を説得するなどしていたことが認められるのであるから、これらの事情に照らすと、本件行為のすべてを通じて、被告人が単なるオブザーバーないし助言者として示談交渉の席に出ていただけであるとか、或いは被告人の以上の行為が法律事件に関し法律事務を取り扱うことにあたらないなどという所論は、とうてい採用することができない。次ぎに所論(2)の会費の趣旨についてであるが、右趣旨のなかには、所論のように行政書士である被告人が会員のため、将来交通事故が生じた場合の自諾責法に基づく保険金の請求手続に必要な書類を作成するなどの事務の引受けに対する報酬の前払いの趣旨が含まれていたと解されるほか、会員の一部が交通事故に逢つた場合被告人やその使用人が交通事故現場に出かけて事故原因の調査をしてやつたりしたことがあり、或いは前記保険金請求手続を行なうに際し請求書に添付すべき証明書類の交付をうけるため関係官公署や病院に出かけてこれを貰つてくるなどの労を提供したりしたこともあり、したがつて、以上のような「弁護士法七二条所定の法律事務」以外の被告人が本来行ないうる事務処理に対する報酬ないし費用の前払いという趣旨も一部含まれていたことは一応認められる。しかしながら、右金員授受が右のような趣旨だけでなされたものとは考えられない。すなわち、右各証拠によると、通常行政書士が自賠責法に基づく保険金の請求に必要な各種書類を作成する場合の法定の手数料は一件あたりせいぜい一、〇〇〇円前後にすぎないこと(佐藤幸之助、曽根原勝美の検察官に対する各供述調書)、被告人との間に本件契約を結んだ会員の保有車両についての交通事故の発生率は一般に比べると、やや高かつたようであるが、被告人の供述によつても、その率はせいぜい三五ないし三七%程度にすぎなかつたこと(被告人の検察官に対する八月一三日付供述調書)、被告人の事務員などが、保険金請求に添付する証明書類の交付をうけるため会員に代つて関係官公署や病院に出かけたり又は交通事故の原因調査のため事故現場に出かけたりしたことがあり、それに要した費用としての償還をうけうるものがあつたといつても、それは少数の事例にとどまつていたにすぎなく、ことに保険金請求に必要な証明書などは通常会員である会社の係員に指図して調達させることにしていたものであり、また加入台数の多いタクシー会社などでは、軽微な物損事故などの場合には会社の係員が被告人の事務所から所定書類の用紙を貰いうけて自分で書類を作成するなどしていたこともあつたことなどによると、被告人がこれら会員から徴収した金額のすべてが右のような費用であつたとは考えられないばかりでなく、各会員が被告人との間に契約を締結した動機のうちには、もちろん保有車両に関し交通事故が発生した場合の自賠責法に基づく保険金請求手続そのものを面倒と考え、これを行政書士である被告人に代行して貰いたいという意図のあつたことは否定できないが、それと同時に、事故相手方との損害賠償についての示談の交渉をもつこと自体に大いに煩わしさを感じ、これを被告人に代理して行なつて貰いたいという意図のあつたことは明らかであり、被告人においても各会員のため示談交渉やその取りまとめなどの法律事務を行なうことを含めて、以上一連の事務を引受けることの対価として前記会費を徴収していたことはとうてい否定することができない。

なお、言うまでもないことであるが、右授受金員の趣旨、すなわち判示示談行為に対する報酬性の有無を検討するにあたつては、保交商事の扱つた会員制による会費徴収の仕組みを全体として観察すべきであろう。本件においては会員となつている自動車台数が前記の如く多数になつており、またそのような多数会員があるときには、これらの者から一定の会費を徴収しておけば、個々のもののなかには利益を生じないものがあつても、全体としては相応の利益があがるであろうとの予測のもとに判示の会費額その他が定められている事実が認められるからである。したがつて、個々の会員毎のケースだけを切り離して見た場合には、かりにそれらのなかに利益をもたらさなかつたものがあるとしても、そのことは全体的観察として、報酬をうることを目的として本件保交商事の業務を行なつていたということの認定を少しも左右するものではない。本件会費などの受領について、それが法律事務を取り扱うことに対する報酬の趣旨でなかつたという所論も採用することができない。

(一部無罪の理由)

一、本件公訴事実の要旨は、

「被告人は、弁護士ではなく、かつ法定の除外事由がないのに、報酬をうる目的をもつて、昭和四一年一月七日ころから昭和四三年七月八日ころまでの間前後三九回にわたり、別紙一覧表(二)記載のとおり、同表記載の事件依頼者三一名から交通事故の損害賠償に関する和解の取りまとめ方を依頼され、同人らを代理して同表記載の事故相手方三八名と交渉して和解を取りまとめるなどし、もつて法律事務を取り扱うことを業としたものである。罰条弁護士法七二条、七七条」というのであつて、証拠調の結果によると、右公訴事実の全内容とほぼ同様の事実関係を認めることができる。

しかしながら、当裁判所は、弁護士法七二条前段(起訴状の罰条欄には、単に弁護士法七二条とあるが、正確には七二条前段を意味するであろう)の解釈について後記のとおりの見解をとるので、これによると、右公訴事実のうち別紙一覧表(二)記載の番号4、8ないし17、20、23ないし31、33ないし39(別紙一覧表(一)番号1ないし28に該当)については、弁護士法七二条前段違反の罪の成立することは免れないが、別紙一覧表(二)番号1ないし3、5ないし7、18、19、21、22、32については、同法七二条前段違反の罪の成立を認めることができない。

二、弁護士法七二条前段の法意

弁護士法七二条前段は、「弁護士でない者が報酬をうる目的をもつて訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱うことができない」旨規定し、同法七七条はその違反を処罰することとしている。

従来の判例、学説は、概して同法七二条前段の規定をきわめて広く解しており、例えば東京高等裁判所昭和三九年九月二日判決(高裁刑事判例集一七巻五九九頁、福原忠男氏弁護士法解説司法研修所資料一一号も同旨)は、同条にいう「その他一般の法律事件」とは「同条例示の事件以外の、権利義務に関し争があり、若しくは権利義務に関し疑義があり、又は新たな権利義務関係を発生する案件」を指すものとし、およそ非弁護士が報酬をうる目的をもつて右の意味における法律事件に関して法律事務を取り扱うならば、すべて弁護士法七二条前段違反の罪が成立するという趣旨の判示をしている(このような解釈に従うならば、起訴状記載の彼告人の行為は全面的に同規定違反の罪を構成することになる)。

しかしながら、当裁判所は、右規定を右のように広く解するのは相当でないと考える。このような広い解釈は、同条の立法趣旨に反するばかりでなく、我が国の法律社会の実情からしてとうてい認容することができず、更に規定の文理解釈などからしても多大の疑問がある。

まず本件の判断に必要な限度で、同規定の解釈について当裁判所の結論を示すならば、一般的に「法律事件」とは右高裁判決のいうとおり「権利義務に関し争があり、若しくは権利義務に関し疑義があり、又は新たな権利義務関係を発生する案件」を意味し、弁護士法七二条にいう「訴訟事件……その他一般の法律事件」には、現に訴訟事件などとして裁判所その他の紛争処理機関に係属している案件ばかりでなく、まだ訴訟事件などとして係属していない案件も含まれるが、しかしこの意義における法律事件の一切を網羅するものではない。民事々件に関していうならば、「紛争の実体、態様などに照らして、一般人がこれに当面しても、通常、弁護士に依頼して処理することを考えないような簡易で少額な法律事件」は同規定にいう「訴訟事件……その他一般の法律事件」に含まれないと解すべきである。なお、ここで「簡易」というのは、通常人の法律知識と普通の職業に必要な事務能力によつて適切に処理しうる程度を意味するものである。したがつて、弁護士でない者が報酬をうる目的をもつて、右の意味における簡易で少額な法律事件に関しなんらかの法律事務を取り扱つたとしても、それは弁護士法七二条前段違反の罪を構成するものでないと解する。以下、その理由を述べる。

1  弁護士法七二条前段の立法趣旨については種々いわれているが、その主なものは、

(イ) 法律事件を適切に処理するには、法律家としての修習、経験などによつて習得される専門的な法律知識と特別な事務能力が必要である。それ故に弁護士の資格がなく、その法律知識、事務能力がどの程度であるかについて何の保証のない者が、他人の法律事件の処理に当たり、その活動について対価を受けることは、それ自体不当である

(ロ) 弁護士でない者が、他人の法律事件の処理に当たつても事件の解決に役立たないことが多く、場合によつては、かえつて事件を混乱させ収拾つかなくさせる虞れがある。また一般人の法律的無知に乗じて不当な利益をえたりするなどの弊も多いと考えられる

という点にある。

このような理由が一般的に妥当することは言うまでもない。しかしながら、弁護士法七二条の「法律事件」の意義を前掲高裁判例のように広く解する限り、その種類、内容はきわめて様々である。民事の法律事件に関していうならば、単純なものもあれば複雑なものもあり、またその経済的実体(事件の目的価格)が多額のものもあれば少額なものもある。その中には、法律家としての専門的な法律知識と特別な事務能力がなければ適切円滑な処理を期待できない種類、内容のものもあるが、通常人の法律的常識と普通の職業に必要な事務能力があれば、社会生活上満足した解決とみなしうる程度に十分処理しうるような種類、内容のものもある。事実関係や法律適用上種々問題のある訴訟事件や現に訴訟として係属していないまでも複雑、重要な取引行為などに関し将来の紛争を予防するため詳細な契約書を作成すべき必要のある権利義務関係などは、法律家でなければ処理しえない法律事件といつてよいであろう。これに対して、一般市民が日常生活でしばしば当面する、少額の売掛代金や貸金債権或いは家屋、土地の賃貸借などに関する、単純で小規模な法律事件などは後者の例といつてよいであろう。専門的な法律知識や事務能力がなければ、適切に処理しえないような法律事件について、素人がその処理に当たり対価を受取ることは前記の趣旨に照らし不当といえようが、通常人の法律知識、事務能力によつて十分処理しうるような法律事件について、素人がその処理に当たつて対価を受取ることのすべてを不当視することはできないであろう。また、このような種類、内容の法律事件に関しては、一般人が無知、無理解であるともいえないから、これに乗じて不当な利益をえたりする虞れが多いともいえないであろうし、更にまた、このような法律事件に素人が関与することによつて、事件が混乱し、収拾つかなくなる虞れが多いなどということも、いえないであろう(外国の立法例中には、弁護士でない者に種々法律事件、法律事務の取り扱いを許しているものがあるがこのことは右の点を裏付けるものであろう。註1)。

立法趣旨として次のようなこともいわれている。

(ハ) 弁護士は、その職務執行にあたり高度の倫理性が要求され、弁護士会の指導、監督、懲戒などに服するが、弁護士でないものについてはこのような統制手段がない。従つて簡易な法律事件であつても、弁護士に依頼して処理して貰うのが安全であるし、万一処理を誤つた場合でも、弁護士でないものに対しては損害賠償その他の責任を追求しても効果のないことが多いと。

しかしこのような理由も、あらゆる法律事件の取り扱いから、非弁護士を排除すべき充分な理由とはなりえない。弁護士でない者に弁護士ほど高度の倫理性の保持を期待できないとしても、通常人誰でもが持ち合わしている倫理性を法律事件を取り扱うものに限つて否定するのは苛酷な見方である。法律事務の処理を誤つた場合における責任についても同様である。弁護士会の指導、監督、懲戒などの権能も、我が国の現状においては、適確に発動されているとは到底いえず、むしろ有名無実に近いといつても過言でないであろう。たしかに簡易な法律事件であつても、その経済的実体が多額であるもの、或いはその処理を誤つた場合重大な不利益を招くものがあり、このような法律事件については、素人がこれを処理することができるといつても、弁護士に依頼する方がより安全であろう。しかし簡易であるだけでなく、事件の価格も少額であり、まれに処理を誤つても取りたてて問題とするに値しないような法律事件もあり、このようなものについてまで、弁護士でなければ一切報酬をうる目的をもつてしては取り扱うことはできないとする理由はないであろう。

このように考えると、法律事件について、弁護士でないものが報酬をうる目的で関与することは一般的には種々の弊害を生ずる虞れがあり、これを禁止処罰すべきであるが、簡易で少額なもろもろの法律事件のすべてについてまで、一切弁護士でなければ報酬をうる目的をもつてしては取り扱いえないとするまでの強い理由はないように思われる。

2  弁護士法七二条前段の解釈にあたつては、一般社会における法律事件、法律事務の激増と我が国弁護士制度の実情をも考慮しなければならない。

最近、我が国社会生活の全般にわたつて各種の法律事件、法律事務が激増している。交通事故関係を取りあげてみても、交通事故による年間死者数は一万六〇〇〇人を越え、負傷者も含めるならば実に約一〇〇万人に及ぶといわれている。物損事故を加えるならば更に大きな数字となるであろう。これらに基づく民事、刑事の法律事件、法律事務だけでも、ぼう大な数量に達している。交通事故関係以外の諸分野においても、例えば耐久消費財を中心とする月賦販売制度の普及に伴う債権取立事務、土地建物に関する各種取引、貸金に関する法律事件、法律事務、相隣関係や公害関係に基づく種々の法律事件が日々に増加しつつある。弁護士法七二条にいう「法律事件」の意義を前掲高裁判決のように広く解釈するならば(なお本件においては問題にならないので特に論じないが、同条にいう「法律事務」の意義も判例上きわめて広く解釈されている)、最近の我が国社会は「法律事件」「法律事務」のラッシュに蔽われているといえよう。

ところで、このような巨大な量の法律事件、法律事務に関し、これを取り扱うに十分な弁護士制度が我が国の現状において完備し、国民一般に十分な便宜を供しているといえるであろうか。何人もこれを否定せざるをえないであろう。多くの統計資料が示すとおり、我が国の弁護士人口は著しく不足している。国民人口同数当りの弁護士数を比較するならば、我が国のそれは欧米諸国のそれの数分の一ないし十数分の一にすぎない。我が国においては弁護士数が不足しているだけでなく、その事務処理能率も決して高度といえない。またその執務体制が報酬制度の点を含め、一般人が容易に近づきうるというには程遠い種々の問題のあることも多くの方面から指摘されている。その結果、とくに一般市民の日常生活から生ずる簡易で少額な法律事件は弁護士の通常の業務範囲から殆んど全面的に疎外されているといつても過言でない。弁護士の地域的偏在はこの傾向に一そうの拍車を加えている。我が国における弁護士過疎地域は広大であるが、このような地域においては、必ずしも簡易、少額といえない法律事件の処理に関してすら、一般市民は事際上弁護士利用をとざされているといつてよいであろう(註2)。

社会生活の各分野における法律事件、法律事務の激増と現状の弁護士制度の貧困性、これに由来する簡易少額な法律事件、法律事務の弁護士業務からの広汎な疎外現象、このような社会的現実は何人も看過することができないし、弁護士法七二条前段の解釈にあたつてもこれを無視することはできない。すなわち次のとおりである。

(イ) いかに弁護士が不足でありその制度に問題があるとしても、弁護士でなければ適切円滑な処理を期待できないような法律事件、法律事務については、やはり原則として弁護士でなければこれを取り扱いえないとするのは、やむをえないであろう。このような法律事件、法律事務について無制限に非弁護士の関与を認めるならば、種々の弊害、混乱を生ずることは明らかだからである(従つて、この関係において、国家と法曹団体に要求される共通の課題は、弁護士人口の可及的速やかな増加、その他国民一般に対しより低廉、迅速、確実な法律的サービスを提供するという目的実現のため現状の弁護士制度に内在する諸々の欠陥の絶えざる改革への努力が残されるだけである)。

しかし弁護士でなくても十分処理しうるような簡易、少額な法律事件、法律事務についてまで、弁護士でなければ一切報酬をうる目的をもつてしては取り扱いえないとすることは、社会的衡平の見地から到底許されないであろう。それは特定の職業階層に対し、与えられるべき以上の独占的な営業範域を与えるとともに国民一般に対し必要以上の不便、不自由を与えるにすぎないと思われるからである。

(ロ) 法律事件、法律事務の量と弁護士人口との著しい不均衡の下では、いかに法規のうえにおいて非弁護士活動を禁止してみても、種々の脱法行為は法執行の裏面で行なわれる関係上、いきおい一般的傾向として、悪徳な者や能力の不足する者がこれに従事することとなるが、それは種々の形の悪徳行為を醸成することになる。我が国において暴力団による債権取立や悪質な三百代言などによる法律事務の取り扱いが多いといわれるのは、このような理由によるものと思われる。弁護士報酬制度が公共機関の手数料と同じくらいに具体的詳細に定められ、かつ弁護士人口が豊富であつて、その事務処理能率がよく、それゆえ一般市民の簡易少額な法律事件をも十分吸収処理しうる弁護士制度を擁している西独において、三百代言などの跳梁の弊をきかないのは、この点を裏付けるものであろう。我が国における前記のような社会的病弊は主として前記のような弁護士制度自体の貧困性に由来するものであつて、これに対して適切な方策を講ぜず、ひとり弁護士法七二条前段の規定のみを広く解してみても、決して問題の抜本的な解決にならないであろう。むしろ前記のような現実を直視し、一定の範囲において弁護士以外の者にも業として法律事件の取り扱いをなしうることの合法性を承認した方が、弊害が少ないように思われるし、またこれを前提として必要に応じて適切な行政的監督措置を加えてゆくこともでき、法律的政策としてははるかに賢明のように思われる。

(ハ) 弁護士法七二条前段違反の罪は、同規定に掲げる行為を業として行なうことは必要でなく、一回の行為によつても成立する(最高裁刑事判例集一八巻七三頁)が、こうした場合、右規定を前掲高裁判決などのように広く解するならば、一般市民の普通の法的センスとして、なんら反倫理性が認められないような各種の法律的活動まで同規定違反の罪に問われる虞れがある。例えば、親戚、友人から建物の管理を頼まれ適当な報酬をえて賃料の督促をし明渡しを要求し又は期限の猶予などをしたりする行為(代理、和解など)、軽微な交通事故に遭遇した同僚から若干の謝礼をうる約束で交通事故の相手方と損害賠償の交渉などをする行為、商店の臨時集金係として不良債権の取立をして回わる行為、労働組合の専従者が新設の労働組合の役員から依頼され常識的な労働基準法上の知識に基づいて使用者に対し折衝などをし日当報酬を受けとるような行為も弁護士法七二条前段に当たるとして取締の対象とされる虞れがある。もつとも論者は、弁護士でなくても無償で行なう限り他人の法律事件に関する法律事務を取り扱つても罪とならない、従つて右設例の各行為などは無償で行なえばよく、弁護士法七二条前段を広く解してもなんら弊害はないというかも知れない。しかし現代の社会生活において無償行為が果たしうる役割の程度を考えるならば、そのような論はとうてい首肯できないし、のみならず無償行為がとかく無責任な事務処理につながり易いことにも注意を払うべきであろう。この意味においても、一定の範囲で法律事件、法律事務の取り扱いを素人一般に許容すべきであろう。

3  簡易少額な法律事件に関する法律事務について、弁護士でない者が報酬をえて取り扱うことを認めるといつても、これを全く放任してよいかどうかは別問題である。法律事件の当事者と一定の人的信頼関係にある者、例えば親戚、友人、同僚などが本人から委任されて法律事件の処理に当たり対価をうることは、本人自身が処理に当たる場合と同様に、原則として無条件に認めてよいであろう。しかしこのような人的信頼関係にないものが業として不特定多数の者の委任をうけて法律事件を処理することについては、恐らく何んらかの法的規制が必要であろう。逆に、このような法的規制がない現状においては、弁護士法七二条前段の規定によつてこれを取締まるべきではないかとの議論があるかも知れない。しかし、そのような論は理由がない。

憲法二二条一項は人の営業活動の自由を保障している。人は、それ自体社会的に有害又は不道徳なものでない限り、あらゆる業務を行なうことができ、これに対して国家は公共の福祉を確保するため必要かつ合理的な範囲を行なうことができるにすぎない。法律事件に関し法律事務を取り扱うことを業とする場合についても同様の法理が妥当する。法律家としての専門的な法律知識と特別な事務能力がなければ適切に処理することができないような種類内容の法律事件について、弁護士でなければこれを取り扱いえないと定めることは、公共の福祉を確保するため必要かつ合理的な範囲の規制といえようが、簡易で少額な法律事件についてまで、高度な資格を有する弁護士でなければこれを業として取り扱うことができないとするのは、必要かつ合理的な範囲の規制とはいえない。国家が営業活動を規制する場合、規制の方法、内容について適度なきめの細かさをもつことが要求される。ある種の営業活動を放任する場合、一定の弊害が予想されるとしてもこれを防遏するため弱い規制(例えば定期的に営業活動の内容の報告を求めるとか、報酬の事前受領を禁止しかつ報酬額を法定するとか、或いは一定の簡易な試験と人物上の適性審査に合格したものにのみ営業資格を付与するなどの規制、註3)によつて、十分所期の目的を達成することができるのに、それ以上強い規制(例えば、非常に高度な知識、経験の習得者でなければ合格しえないような困難な試験制度を設けるなどの規制)を行なうことは許されない(註4)。簡易少額な法律事件の取り扱いを業とするものについて、公共の福祉を確保するため公権的な規制が必要であるとしても、それはせいぜい右に述べた弱い規制で足りるように思われる。

簡易少額な法律事件の取り扱いを業とするものの活動を放任することが公共の福祉確保のうえから黙過することができないならば、それに相応する規制方法を立法によつて設けるべきであり、現状において、そのような立法がないからといつて、それを口実にして必要以上の規制を加えることは許されないであろう。

4  弁護士法七二条前段の文言について考察すると、一定の範囲の事項を行なうことを禁止処罰する法規において、いくつかの具体的な事項を例示したのち、「その他……」という文言のある場合、それは例示事項と類似し又はこれと同等の性質、価値をもつ事項を意味すると解するのが文理解釈の原則といつてよいであろう。刑罰法規においては、みだりに一般的条項、包括的文言を用いることは許されないが、立法技術上それが已むをえない場合には、その解釈にあたつては、右の理を特に強調しなければならない。

弁護士法七二条前段の「その他一般の法律事件」というのも、その例示する「訴訟事件、非訟事件……行政庁に対する不服等申立事件」に類似し又はこれと同等の性質、価値をもつ法律事件を意味すると解すべきである。法律事件という概念を最も広い意義に理解するならば、前掲高裁判決などのいうような「権利義務について争があり又は権利義務について疑義があり若しくは新たな権利義務関係を発生する一切の案件」ということになるであろうが、弁護士法七二条の「その他一般の法律事件」とはそのような最広義の意味ではなく、紛争の実体、規模、紛争としての成熟度などに照らして、訴訟事件、非訟事件、行政争訟事件などに比肩する程度の重要性、困難性を有する法律事件一般を指すものと解すべきである。民事に関していうならば、一般人がこれに当面しても、通常、弁護士に依頼して処理することを考えないような簡易少額な法律事件は、文理解釈からいつても、弁護士法七二条にいう「その他一般の法律事件」に含まれないと解するのが相当であろう(註5)。

5  なお若干の付言をする。

その一は、前述の我が国弁護士制度に関する種々の問題が単なる一時的過渡的現象にすぎないかどうかである。それが、近い将来、容易に解消してしまうものであれば、それを上述のような法解釈の理由にすることは許されないであろう。しかし、我が国の弁護士数が欧米諸国の水準並みに達するには毎年五〇〇人づつの弁護士が増加するとしても半世紀又はそれ以上の年月を要するといわれている(註6)。地域的偏在などの問題の解消も容易に達成されそうに思われない。また弁護士に対する弁護士会の指導、監督権運用の実態が現状より急速に厳しくなることも考え難い。もとより簡易少額な法律事件であつても弁護士によつて処理されることに越したことはない。本来、この種の法律事件の処理は、例えば米合衆国の少額裁判所における事件処理の実際的基準としていわれているラフ・ジャステイスの実現(註7)によつて満足しなければならないとも思われるが、それにしても弁護士によつて処理されることが、より望ましいことに変りはない。しかしその実現が見込みうすである以上、次善の策として弁護士法七二条前段について前記のとおりの解釈をすべき国民的な必要が現状では存在すると考えられる。

その二は、社会生活関係全般にわたつて法律の規律する範囲が増大するとともに多種多様な営業活動が交錯するにいたつた今日の社会においては、弁護士の専属的な営業範域を定める同法七二条の「法律事件」「法律事務」の定義を厳密に決定すること自体が、きわめて困難になつたといえよう。我が国と同じように、弁護士以外の者による法律事務の取り扱いを一般的に禁止する米合衆国各州における、いわゆる「アンオーソライズド・プラクテイス・オブ・ロー」の定義についても同じことが指摘されている。それはいわゆる「デュープロセス」や「公共の利益」の定義が困難であるのと同程度に困難であるといわれている(註8)。すでに抽象的、概念的な定義によつて弁護士法七二条前段の適用を決定することはできない時代になつているといえるであろう。当裁判所の判示した「通常、弁護士に依頼して処理することを考えないような簡易、少額な法律事件」という規準も抽象的といえば抽象的であるが、やむをえない面があるといわなければならない(註9)。また米国各州においては「何が禁止されるべき法律業務か」を決定するにあたり、(イ)当該法律事務が他の正当な営業活動に随伴し又は補助的なものであるかどうか。(ロ)当該法律事務が複雑、困難なものであるかどうか。(ハ)当該法律事務を処理するために法律家の特別な技倆、知識が必要であるかどうか。(ニ)当該業務が普通の社会上の見解において法律業務と目されているかどうか、などの規準が使用されているようである(註10)。本件においても、被告人は、結果としては自ら示談交渉を主となつて進めたことが多かつたとしても、当初の契約では、当事者間で示談交渉がまとまれば、それを前提として保険金請求手続だけを代行することも、もとより考えており、これの前提として示談行為にも関与してゆくことになつたこと、いわば自己の業務に広い意味では関連している面があり、当初から示談のみを目的とした場合ではなかつたことも認められるのであつて、こうした点も上述の意味合いで参考にした次第である。

その三、弁護士法七二条前段を右のように解した場合、法律事件の取り扱いに関し一定の範囲において弁護士と弁護士以外の者が競業することになるが、このことは恐らく国民一般に対し迅速、低廉、確実な法律的サービスを提供するという司法制度の理想の実現に役立つであろう(註11)。このことは前述の我が国一般社会の法律事件の激増と弁護士制度の実態を考えるとき何人も切実の感を抱かざるをえないであろう。それ故多くの論者から種々の立法上の提言がなされている。例えば「安価な弁護士、簡易裁判所弁護士制度を要求する」旨の提言、我が国においても米合衆国各州で認められている少額債権取立業者の発展を考慮すべしという提言、司法書士に対する簡易裁判所訴訟代理権の付与あるいは弁護士と司法書士との中間的職層としての裁判書士制度の提案など(註12)。一般市民の日常生活から生ずる法律事件の弁護士業務からの疎外を解消するためには、根本的に右のような立法的措置が是非とも必要であろう。しかしそのような立法論は別としても、右に詳細に説明したところに照らし、弁護士法七二条前段を上記のとおり制限的に解釈すべきである。

その四、我が国においては、交通事故損害賠償事件の大部分は弁護士に依頼して処理されるのでなく、素人である当事者(又は親戚、友人)どうしの話合いによる示談によつて解決処理されている。ところが、このようにして解決される示談の額は一般的にきわめて低いと評価され、実際は強制保険の限度額の前後に落ちついているといわれている。弁護士法七二条前段を上記のように解釈することによつて、右の弊害を助長するこことにならないかどうかをも慎重に考察してみたが、直接の影響はないものと思われた。

註1 西独の労働裁判所、行政裁判所、社会裁判所の各手続につき、三ケ月章ほか、各国弁護士制度の研究一七四頁以下、一八九頁(二七)。西独の代訟人、法律輔佐人につき、木川統一郎、民事訴訟政策序説三五頁(16)、前掲各国弁護士制度の研究二〇二頁(九)。フランスの代訴人につき司法研究報告書一三輯二号一八二頁以下。米合衆国連邦行政庁の手続につき、自由と正義一三巻一一号二九頁、なおLawyer in modern Society, Vern Countryman, Ted Finman(ed)1966. 四六二頁以下のGellhornの所説参照。米合衆国の債権取立業者につき、田辺公二、民事訴訟の動態と背景二四三頁以下。英国のマネージニング、クラークにつきLawyers and their work, Quintin Johnstone and Dan Hopson, Jr. 1967. 三九九頁以下。

2 我が国弁護士制度の実状と問題点につき、臨時司法制度調査会意見書第二編第二章第六章、三ケ月章、民事訴訟法研究四巻二六七頁以下、岩波現代法講座6「現代の法律家」二〇四頁以下、同講座5「現代の裁判」二七頁以下、岩波新書「日本の裁判制度」六三頁以下、前掲民事訴訟の動態と背景三五七頁。弁護士人口の不足と地域的偏在、少額事件の疎外現象などにつき、中田淳一、三ケ月章編集ケースブック民事訴訟法二四一―二四三頁、岩波新書「日本人の法意識」一三五頁以下。なお前掲民事訴訟政策序説六頁以下、法曹時報一五巻二号七三頁以下、古いが司法研究一五輯三「弁護士法ノ改正ニ就イテ」四〇頁以下。

3 この種の弱い規制の例として、(イ)行政書士法一〇条、一三条、米合衆国の債権取立業者の営業活動に対する州政府の行政監督につき前掲民事訴訟の動態と背景二四五頁。(ロ)手数料規制、行政書士法九条、フランスの代訴人に対する同様の規制につき、前掲民事訴訟法研究四巻一二六頁。(ハ)人物上の適性審査、西独の法律輔佐人につき前掲各国弁護士制度の研究二〇二頁(九)など参照。

4  国学院法学六巻三号「ドイツにおける営業の自由」一一六頁以以下、ゲルホーン、生計をたてる権利(岩波現代叢書、言動の自由と権力の抑圧一四二頁以下)参照。

5  旧「法律事務取扱の取締に関する法律」一条の解釈についても同様の批判があつたことにつき国家学会雑誌五四巻九号一二六頁以下参照。

6  6司法研修所調査叢書一号、同追補、八号、「法曹人口について」、民事訴訟雑誌一四号三〇頁。

7  最高裁判所事務総局、在外研究報告七号「米国における少額裁判所」三一頁以下、なお前掲民事訴訟法研究四巻二三八頁参照。

8  Cases and materials on modern procedure and judicial administration, Vanderbilt, 一二一六頁。なおSouthern California Law Review Vol. 37, No. 1一頁以下の、州憲法の改正をめぐる社会的動向の中に、非弁護士活動取締規定の適用の現代的な困難性を窺うことができる。

9  刑罰法規の解釈にあたつて、不明確な規準を設定することは許されず、この意味で抽象的な基準はできるだけ避けなければならない。しかし、それよりも更に警戒しなければならないことは、刑罰法規を余りに広義に解釈すること、すなわち有害な行為も有害でない行為も一網打尽に捕捉してしまうような広すぎる解釈である。弁護士法七二条前段について当裁判所の設定した例外基準は抽象的であるが、しかしこのような制限を設けなければ、それは余りにも広すぎる解釈に陥つてしまうであろう。非弁護士活動の禁止罰則について不明確性と広義性の双方を避けようとするならば、おそらく根本的な法改正が必要であろう(なお前掲Lawyers 四八七頁以下、及び五四九頁以下の英国の立法例、同著者の提案参照)。また、このような例外基準を設けた場合、実際の取締活動に重大な支障が生じないかとの疑問がある。しかし一般人に対する実質的侵害を伴う悪質な非弁護士活動は刑法の諸規定によつても取締ることができることや、そのような実質的侵害を含まない活動については本来、司法制度自体の改善によつて能率の角逐の上に立つて駆逐すべき問題であることを考慮すべきである(なお前掲Southern California L. R. 二〇頁参照)。

10  前掲lawyers 一六五頁以下。

11  前掲Lawyers 八頁以下、五四九頁以下、California Law Review Vol. 54. 一三四一頁以下。

12  前掲日本の裁判制度一六一頁以下、前掲民事訴訟の動態と背景二八二頁以下、全国書協会報二二号一四頁以下。

三、公訴事実記載の各法律事件について、

1  以上の解釈に基づいて、別紙一覧表(二)記載の各法律事件に関し被告人が示談の交渉などの法律事務を取り扱つたことが弁護士法七二条違反になるかどうかについて検討する。

まず一般的に、交通事故による損害賠償事件は権利の存否についてばかりでなく、損害の範囲、責任の程度などについて多くの法律問題を含み、一般市民が日常頻繁に経験する売買代金や貸金の取立事件或いは家屋、土地の賃貸借などに関する法律事件と異なり、簡易な法律事件といえないのでないかとの疑問がありえよう。とくに人身事故の場合は人格侵害を理由にして法的救済を求めるものであつて、単なる利益侵害を理由にする法律事件に比べて、適正な法的解決の要請が強く、このような意味からも弁護士でないものが報酬をえて取り扱うことは適当でないとの考え方もありえよう。これらの疑問や考え方は一応理由があり、交通事故損害賠償事件が前述の「簡易で少額な法律事件」に当たるかどうかを判定するについては、他の一般事件に比べてより慎重でなければならない。しかし他方、我が国におけるモーターリゼーションの目ざましい普及と交通事故発生の驚異的な増加に伴い、一般市民の交通事故関係の法律知識は著しく増大している。成人の過半数は自動車運転免許を有しているといわれているが、その取得の過程で、また日常の運転経験などを通じて、交通事故に関する様々の技術的、法律的知識を習得している。また今日において、親戚、友人、同僚などで交通事故に遭遇したものが一人もいないという者は存しないといつてよいであろうが、それらの交通事故遭遇者の体験談を聞き或いはこれに照会するなどして、交通事故による損害賠償に関する法律知識を容易に入手しうる状況になつている。新聞、テレビなどでも始終交通事件関係の解説や報道を行なつている。このような現状に照らすと、少くとも軽微な交通損害賠償事件に関し示談交渉をし、その取りまとめをするに必要な法律知識は多くの市民の常識になつているといつてよいであろう。また交通損害賠償事件の法的解決方法についても、例えば無過失責任に近い法原則が定立されていること、各種の保険、保障制度の発達に伴つて賠償義務の履行が容易になつていること、治療費その他の算定についても公的基準が定められていることなどによつて、これに関する法律事務の処理も簡易化されている。人身事故事件が人格侵害を理由とするものであるという特質も軽微な傷害事故についてはそれほど強調する必要はないであろう。実際上も、交通損害賠償事件の大半は弁護士に依頼せず、素人間の話合による示談によつて処理されていることは、前述のとおりである。

それでは特定の交通損害賠償事件が前述の意味における簡易少額な法律事件にあたるかどうかについて、具体的にどのような点を考慮して決定すべきであろうか。結局は、損害賠償請求権の成否についての争いの有無、その程度、損害の大小、被害者側の要求の内容、加害者側の損害賠償の負担についての意向、その他事件の規模、態様に照らし一般人がこれに当面した場合、通常、弁護士に依頼して処理することを考えるかどうかなどを綜合して、判定するほかないであろう。

2  そこで、まず別紙一覧表(二)記載の番号9、10、13、15、23、39の各事件(別紙一覧表(一)番号3、4、7、9、13、28に該当)についてみると、これらは関係証拠によると、いずれも死亡事故による損害賠償に関し、賠償額とその支払方法についての示談の交渉を内容とするものであり、また別紙一覧表(二)記載の番号4、8、11、12、14、16、17、20、24ないし31、33ないし38の各事件(別紙一覧表(一)番号1、2、5、6、8、10、11、12、14ないし27に該当)は、関係証拠によると、いずれも傷害事故に関するものであるが傷害の内容はいずれも数十日から数ケ月又はそれ以上の加療を要するものであつて、被害者が蒙つた損害額も十数万円から数十万円に達するものであつたであつたことが認められるから、いずれも前述の簡易少額な法律事件ということはできず、しかも前掲各証拠によると、以上の各案件を通じ、当事者間に損害額の範囲や支払方法などについて種々主張の対立のあつたことも認められるから、被告人がこれらの各事件に関し示談交渉、その取り纏めなどの法律事務を取り扱つたことは、弁護士法七二条前段に違反するものといわなければならない。

3  次ぎに別紙一覧表(二)記載のその余の事件について考えると、関係証拠によると、

番号1は、傷害事故で被害者の蒙つた傷害の程度は医院に入院および通院計九日間、ほかに歯科医院に通院一三日間を要するものであつたが、被害者側から加害者側に対し賠償の請求をした損害の範囲は休業補償と慰藉料に限られていたようであり(治療費は被害者が加入していた健康保険から給付をうけたものと推認される)、結局、加害者側から被害者に対し休業補償および慰藉料として合計六万八、二〇〇円を支払うとの内容の示談ができており、示談の交渉において紛糾した形跡は認められず、かんたんに示談が成立したように窺われる。

番号2は、四週間の加療を要した傷害事故で、加害者側から被害者に対し休業補償、慰藉料として合計七万五、〇〇〇円を支払うことで、やはりかんたんに示談が成立している。

番号3は、子供に対し、加療一週間程度の傷害を負わせた案件で、治療費は加害者側が全額負担し、その外に加害者側から被害者側に対し、四万八、〇〇〇円の慰藉料を支払うことで示談ができており、示談の交渉に際し紛糾した形跡はなく、簡単に示談が成立していること、もつとも当事者間に主張の対立が全くなかつたわけでなく右慰藉料の額について被害者側は五万円を請求していたが、右のとおり四万八、〇〇〇円に値切られている。しかし治療費を加害者側で負担することについては主張の対立があつた形跡は認められない。

番号5は、入院加療一ケ月を要した傷害事故であり、治療費は加害者側が全額負担し、その外に加害者側から被害者に対し休業補償、慰藉料、見舞金として合計八万三、〇〇〇円を支払うことで示談ができていること、示談がなされるまでの経緯として加害者側と被害者の代理人(内縁の夫であつたと認められる)が、二人して被告人に話合いの仲介方を依頼している事情が認められ、示談の結果について、当事者双方とも全く不満を述べておらず、被告人が介入しなくても、右の程度の内容で簡単に話合いがついたと推認される状況である。

番号6は、通院一週間を要した傷害事故で、加害者側から被害者に対し休業補償、慰藉料として合計二万二、七〇〇円を支払うことで示談ができている。もつとも当事者双方間に主張の対立がなかつたわけでなく、被害者側では右の金額を二万五、〇〇〇円と主張していたようであるが、それ以上深い紛争に発展する状況にあつたとは認められない。

番号7は、通院三日間程度の傷害事故で、休業補償、慰藉料として七、二〇〇円を支払うことで示談ができている。

番号18は、加療三週間の傷害事故で、治療費は加害者側が全額負担し、その外に加害者側から被害者へ休業補償、慰藉料として合計八万六、七一〇円を支払うこと及び三年以内に後遺症が生じたときにはその治療費も加害者が負担することで示談ができており、なお加害者側では事故車両に強制保険の外に任意保険を付しており、その関係もあつて、示談の交渉に際し紛糾した形跡などなく、かんたんに示談が成立した様子である。

番号19も右番号18の事故と同一の機会に生じ加害者を共通にする傷害事故で、治療費は加害者側が全額負担し、その外に被害者に対し休業補償として一万六、六二〇円、見舞金として三、〇〇〇円を支払うことで、これまた簡単に示談が成立した様子である。

番号21は、物損事故であつて、新車の車体の一部が破損されたとして被害者から加害者側に対し二〇万円の支払いを要求し、これに対し、加害者側が分割支払いを認めて貰いたい旨主張し、結局二〇万円を二万円づつ割賦支払うことで示談ができており、その外に当事者間に主張の対立のあつた形跡はなく、交渉の際に紛糾した形跡もなく、簡単に示談が成立した様子である。

番号22は、子供に対する傷害事故で、治療費、付添費の全額を加害者側が負担し、その外に示談金五万円を支払うこと及び三ケ月内に再発したときには加害者側が責任を負うことで示談ができており、治療費、付添費として現実に約五万円が支払われている。もつとも当初、被害者の両親は二〇〇万円とか三〇〇万円の請求をしていたようであるが、傷害の具体的内容は本件証拠上不明であるけれども、右のような内容で示談ができており、後日自賠責保険から加害者側に対し給付された金額も四万五、〇〇〇円にすぎなかつたことなどを考えると、軽微な傷害であり、それ以上深刻な争いに発展する可能性のあるような実体でなかつたように思われる。

番号32は通院七日間を要した傷害事故で、加害者側から被害者に対し休業補償、慰藉料として合計九万九、五六〇円を支払うことで示談ができている。もつとも当事者双方間に主張の対立がなかつたわけでなく、加害者側では右金額を六万五、〇〇〇円と主張していたが、それが右のとおり若干増額されて示談が成立したものであり、その外には格別主張の対立はなかつた様子である。

以上のような事実関係であることが認められ、これらの認定事実に右各関係証拠に現われた一切の情況を綜合すると、右各事件について、当事者間の権利義務関係について全く争いや疑義がなかつたわけではないが、各事件とも比較的軽微な交通事故で、当事者間に存した主張の喰い違いも些細なものであつて、示談の経過にみられる当事者双方の意向をみても、将来訴訟事件になるなど深刻な紛争に発展する可能性は全くなかつたものであり、一般人がこれに当面しても通常弁護士に依頼して処理する必要があるとは到底考えないような、簡易、少額な法律事件であつたと考えられる。したがつて、被告人が、以上の各法律事件に関して示談の交渉やその取りまとめなどの法律事務(なお、これらの事務の内容も通常人なら誰でも理解しうる単純な約款の設定を目的とするものにすぎない)を取り扱つたからといつて、これをもつて弁護士法七二条前段違反の罪が成立するということはできない。

4  以上のとおり別紙一覧表(二)の番号1ないし3、5ないし7、18、21、22、32の各法律事務を取り扱つたことについては弁護士法七二条前段の違反は認められないが、本件起訴状の記載によると、これらの各行為と「罪となるべき事実」に掲げた各行為とは包括一罪として起訴されたものであるから、主文においてとくに無罪の言渡しはしない。

(法令の適用)〈略〉

(渡部保夫 秋山規雄 大津千明)

〈別紙一覧表(一)(二)略〉

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